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多くの方々との出会い、人の温かみ

私は途中入社で、現在29年間在籍しています。 入社した時は技術、製造関係を希望しましたが、いつの間にか営業になってしまい27年過ぎました。 現在でも営業の管掌をしていますし、これからも続けられればいいなと考えています。なぜそこまでこだわるかと言うと、営業職を通して、多くの方との出会いがあり、仕事を通じて、人の温かみを知ったからです。 十人十色と言い、自然と自分と相性が合う人を選んでいたかもしれませんが、たいへんよくしていただき、今でも多くの方々への感謝の気持ちは持ち続けています。 

現場作業の経験

当社は押出成形を中心とし、建材、産業資材等において少ロット、他品種のすきま製品 の製造を行っている会社です。特に素材として、柔らかい樹脂に特化した、言い換えれば、これしか出来ないメーカーです。入社した当時、樹脂の加工は現在の押出機による製造と蒸気で加熱した2本ロールで加工する方法がありました。 私も短い間ですが、ロールでの作業を経験し、体から水分が抜けていく感覚を味わい、さらに気を抜いた時には腕や手をやけどすることが、しばしばありました。 冬場の低温時の作業は暑くてもあまり苦になりませんが、夏場の高温化での作業は今思うとかなり過酷な作業であったと思います。現在はロールも撤去し、昔の暑さではなくなりましたが、それでも、やはり現場は暑いです。

営業時代の経験から

人の温かみを感じたのは、営業時代に経験した幾つかの出来ごとからです。 確かに仕事上での出来ごとであり、本当に仕事抜きで知り合ったとしたら、ただの知り合いになるかもしれませんが、偶然困ったもの同士が出合い、仕事を通して協力し、助け合えるそんな出来ごとを何回か経験しました。 それは平成5年、日本化工に入社して7年目、22年前の出来事でした、今でもその当時のことは鮮明に覚えています。 当時、当社にとって大切な顧客で、販売額全体の15~20%を占めている某会社から「これから自ら製造メーカーになるので、購入を打ち切りたい」との申し出がありました。言葉にすると、それ程厳しい状況ではないと思われるかもしれませんが、その後、当社の他の販売先に売り込みをかけたり、当社の社員を引き抜いたり、もうこれ以上は書ける内容でないので書きませんが、それはすごい事を経験致しました。この事は営業だけの問題ではなく、会社の存続にも影響を与える出来事でした。 この様な、危機迫る状況の中で、ある時、1本の電話がかかってきました。 その相手は製造メーカーになった某会社のグループ会社の社長で、かなり高い値段で購入させられ苦しんでいるので、なんとか安く販売してくれないかとの内容でした。価格を聞いたとこる、確かに通常の価格よりかなり高いものでした。この1本の電話により、ほぼ1年も経たない内に、取引が始まりました。 その後、かなり満足していただいたようで、新たに三社の販売先のご紹介をいただき数年の間で、三社すべて取引が開始されました。その結果、現在では、22年前の出来事が起こる前より、販売額は更に増加しました。本来なら商社としてこの3社に販売もできたと思いますが、メーカーから直接販売した方がお互いにメリットがでると言われ、現在も継続しています。 この方は10年ほど前にリタイヤされ、建材の施工を請け負う商売を始めました、私どもの製品も取り扱っていただいていますし、他にも以前お世話になったという方々が製品の提供をされていました。会社同士のお付き合いであっても、そこから離れたあとも続けられるそんな人間関係も悪くはないと感じます。 最後に、これは直近に起こった出来事ですが、顧客からメーカーとなった某会社の社長が七夕の日に当社に来社され、製造メーカーから撤退するので、製品の供給をお願いしたいと申し出がありました。非常に出来過ぎた話になりますが、私は出来る事は協力させていただきますと答えました。

やはり人の力

たまたま、私の運が良かったのか、小規模の会社で方向転換し易かったのか判りませんが、 会社にも人間と同じように厄年にあたる時期があり、それを乗り越えることにより会社は 存続していくと、自らの経験で感じます。 また、乗り越える原動力になるのは、やはり人の力ではないかと思います。

更新日:2015年8月9日

経歴

大村 一雄(おおむら かずお)

略歴

昭和28年9月生
昭和61年3月 途中入社にて
日本化工株式会社入社
平成23年6月 取締役
平成26年 代表取締役社長(現在)
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